河井孝仁さんの編著『「地域の人」になるための8つのゆるい方法 まちのメディアを使う・学ぶ』を読んだ件

「地域の人」になるための8つのゆるい方法 まちのメディアを使う・学ぶ 参照
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河井孝仁さんの編著『「地域の人」になるための8つのゆるい方法 まちのメディアを使う・学ぶ』(彩流社)を読みました。地域で何か活動したい人に向けた本です。その手法として、従来のコミュニティFMなどではなく、Instagramや顔ハメパネル、ローカルアイドルなどのいくつかの地域メディアを紹介されています。

本書の興味深く感じたところはその構成です。地域メディアに関わるAさんによる解説→それを読んだ河井先生の講評というかお返事→そのお返事を読んだAさんによる感想・解説。次はBさんよる解説…と続く構成になっています。

そうすることでAさんの取り組んでいることが立体的に浮かび上がり、その背景に詳しくなるという伝え方です。まるで何かのシンポジウムのイベントレポートのような仕上がりが面白いなあと思いました。

自分が気になったところは全部その解説部分です。ネタばれになるので気になった方はその部分を読んでみてください。

行政がよく用いる、主語が地域で人々が述語という構図では、積極的な関与は生まれない。地域とやらのために、なぜ私が関与しなくてはならないのだ。(30ページ)

不完全プランニング(112ページ)

実のところ、インスタグラムは行政などの地域経営の代理人にとって、主語という以上に述語として機能する。わかりやすく述べれば、インスタグラムを情報発信のツールにとどまらず、情報受信のツールとして使うことが有効になる。(136ページ)

地域とは構造である。(154ページ)

まちづくりという言葉がどこかで持つ暑苦しさが、かえって人を遠ざけていないか。(156ページ)

多くの地域で少子高齢化による担い手不足が語られる。しかし「担い手不足」だから地域に関われと言われても釈然としない。「なぜ、私が?」と思うほうが普通だろう。(192ページ)

特に最後の192ページの部分は自分の解釈では「情報の非対称性」ならぬ、「感情の非対称性」だと考えています。 地域の中で相手の気持ちがおろそかになっている場面をよくみかけます。

この本を読み終えて地域や自治体に携わる河井先生が、自治体の推める物事についてどう捉えているのか思考のプロセスが知れてよかったです。

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